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東大、記憶を正しく思い出すための脳の仕組みを解明
記憶を正しく思い出すための脳の仕組みを解明
〜側頭葉の信号が皮質層にまたがる神経回路を活性化〜
1.発表者:竹田真己 東京大学大学院医学系研究科統合生理学教室 特任講師(研究当時)
(現 順天堂大学大学院医学研究科 特任講師)
2.発表のポイント:
◆脳が記憶を思い出すための仕組みは解明されていない。
◆サルの大脳側頭葉で、記憶を思い出している際に働く領域間の信号と皮質層間の信号が伝播する原理を発見した。
◆今回明らかになった記憶想起の信号カスケードの知見が、記憶障害の研究などを促進することが期待される。
3.発表概要:
東京大学 大学院医学系研究科の竹田真己元特任講師らの研究グループは、サルが記憶を思い出している際に、認知機能や記憶の中枢として知られる大脳の側頭葉(注1)で、高次領域から送られる信号によって低次領域の皮質層(注2)間にまたがる神経回路が活性化されることを明らかにしました。
これまでの研究により、大脳の後方側面に位置する側頭葉では、視覚の長期的な記憶に関わるニューロン群が存在することは知られていました。しかし、従来はニューロンの活動を一つずつ計測する手法が一般的であったため、記憶を想起している際に側頭葉の複数の領域にまたがるニューロン群がどのような原理で活性化されるかは明らかにされていませんでした。
本研究グループは、複数の記録チャンネルを持つ電極を使用して側頭葉のTE野の皮質層間の信号を記録し、またより高次の領域である36野からの信号も同時に記録することで、サルが視覚の長期記憶を想起している際には、TE野の皮質層間にまたがる神経回路が36野からのトップダウン信号(高次から低次の領域への信号)によって活性化されることが重要であることを明らかにしました。
今回用いた領域間信号と皮質層間信号を同時に記録、解析する手法により、記憶の想起を支える大脳ネットワークの作動原理の解明が進むとともに、視覚的な記憶障害に関わる神経回路の研究が進展すると期待されます。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST;平成27年4月1日に日本医療研究開発機構(AMED)が設立されたことにともない、本課題はAMEDに承継され、引き続き研究開発の支援が実施されます。)の一環として行われ、研究成果は、2015年4月23日(米国東部時間)に米国科学誌「Neuron」のオンライン速報版で公開されます。
4.発表内容:
<研究の背景>
これまでの研究により、大脳の側頭葉は、物体に関する記憶を司る領域であり、記憶の記銘(覚える)や想起(思い出し)時に活動するニューロン群が知られていました。また、解剖学的には、側頭葉の皮質は層構造を持つ複数の領域から構成されていることも分かっていました。ところが、従来の研究手法は、記憶を記銘・想起する際の個々のニューロンの活動を一つずつ計測する手法が一般的であり、こうした手法では側頭葉の複数領域が記憶の記銘・想起時にどのようにして協調的に働いているのかは分かっていませんでした。また、領域間の協調的な活動が領域内の皮質層間にまたがる神経回路をどのように活性化するかについても分かっていませんでした。このように、記憶想起の過程を脳神経回路の動作として理解することは、記憶を含む人間の認知過程における脳の作動原理を理解することにつながり、脳科学における長年の課題でした。
<研究内容>
記憶想起に関わる側頭葉の領域間信号と領域内皮質層間信号の伝播過程を直接調べるために、本研究グループは、サルに対連合記憶課題(注3)(図1)を課し、物体の視覚性情報の記憶を想起する際のニューロンの活動を計測し、解析しました。対連合記憶課題とは、例えば「ハンカチ」と「靴下」のように対となる言葉や図形をあらかじめ連想によって記憶し、片方(手掛かりとなる言葉や図形)を見た際に、対の言葉や図形を思い出す課題です。
課題遂行中のサルのニューロン活動を側頭葉のTE野および36野から同時に記録しました。TE野の記録においては、異なる皮質層から同時に記録するために、近年開発された多点リニア電極(注4)を用いました(図2)。こうした手法を用いて、36野のニューロン活動が、TE野のどの皮質層の活動と協調的に働いているか、またその協調信号が他の層に与える影響を解析しました。
解析の結果、手掛かり図形をヒントにサルが対となる図形を想起している際には、個々の36野のニューロンはTE野の深層もしくは浅層のいずれかと協調的に活動をしていることが明らかになりました(図3)。また、TE野深層の協調的な活動は浅層に皮質層間信号を伝播していることを見つけました(図4)。このA36‐TE野深層‐TE野浅層の順番で信号が伝わる経路は、サルが正しく視覚性情報の記憶を思い出した時のみに作動し、思い出しに失敗した時は作動しないことが分かりました。これらの結果から、霊長類の側頭葉において、記憶の想起を司る領域間、領域内の脳内信号の伝播原理が初めて明らかになりました。
なお、本研究はJST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)の研究課題名「サル大脳認知記憶神経回路の電気生理学的研究」(研究代表者:宮下保司)の一環として得られました。
<社会的意義・今後の展開>
本研究により、霊長類が物体の視覚性情報の記憶を想起する際に用いられる側頭葉の領域間、領域内神経回路を伝播する信号経路が初めて明らかになりました。本研究によって、記憶想起に関わる大脳ネットワークの作動原理の理解が深まっただけではなく、視覚性記憶障害に関わる神経回路の研究にもつながることが期待されます。
5.発表雑誌:
雑誌名:「Neuron」(2015年4月23日(米国東部時間))
論文タイトル:Top−down regulation of laminar circuit via inter−area signal for successful object memory recall in monkey temporal cortex
著者:Masaki Takeda, Kenji W Koyano, Toshiyuki Hirabayashi,Yusuke Adachi,Yasushi Miyashita
DOI番号:10.1016/j.neuron.2015.03.047
■用語解説:
注1)側頭葉
大脳は、前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉に分けられる。側頭葉は、脳の後方側面を占める脳領域で、視覚や聴覚などの認知機能や記憶の中枢として知られている。
注2)大脳皮質の六層構造
大脳皮質は一般的に六層の層構造から構成される。解剖学的に、脳表面からI‐VI層に分類される。このうち、IV層は下位の皮質からの信号を受け取る入力層であり、浅層であるI‐III層や深層であるV‐VI層と区別される。
注3)対連合記憶課題
いくつかの対となる事柄(言語や図形)をあらかじめ覚えてもらい、対の片方を提示して、もう片方を思い出してもらう記憶課題。ウエクスラー記憶検査と呼ばれる標準的な記憶障害テストで使用される。側頭葉に損傷を持つ患者は、この課題成績が低いことが知られている。
注4)多点リニア電極
複数の電極が集まって一本のシャフトにまとめられた多点電極のうち、電極のチャンネルが縦に並んでいる電極。この電極を用いることによって、皮質の複数の層から同時に信号を記録することができる。
■添付資料
※図1〜4は添付の関連資料を参照