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北海道大学、シストセンチュウ孵化促進物質の化学合成に成功
シストセンチュウ孵化促進物質の化学合成に初めて成功
研究成果のポイント
・ジャガイモに深刻な被害を与える害虫であるシストセンチュウの孵化促進物質を化学合成した。
・複雑な構造のため,多くの化学者が挑戦し挫折してきた中で,世界初の化学合成に成功。
・他の生物に全く害を及ぼさない画期的なシストセンチュウ駆除法の開発につながる成果である。
研究成果の概要
ジャガイモシストセンチュウは,ジャガイモの根に寄生して収穫を激減させる微小生物であり,北海道はもとより世界中の農業関係者に重大な脅威を与えています。その卵を孵化させる有機化合物はソラノエクレピンAと呼ばれ,人畜に無害なシストセンチュウ駆除法への利用が期待されてきました。
しかし,この化合物はジャガイモから極微量にしか得られず,極めて複雑な構造を持つために化学合成による供給も困難でした。北海道大学の谷野圭持教授・宮下正昭名誉教授のグループは,世界で初めてソラノエクレピンAの化学合成に成功し,北海道農業研究センターとの共同研究により,本合成品が強力な孵化活性を示すことを証明しました。
この研究成果は,5月23日付で英国の科学誌「ネイチャー・ケミストリー」電子版に掲載されました。
論文発表の概要
研究論文名:Total synthesis of solanoeclepin A(ソラノエクレピンAの全合成)
著者:氏名(所属)Keiji Tanino, Motomasa Takahashi, Yoshihide Tomata, Hiroshi Tokura (Hokkaido University), Taketo Uehara,Takashi Narabu(National Agriculture Research Center for Hokkaido Region),Masaaki Miyashita (Kogakuin University)
公表雑誌:Nature Chemistry(ネイチャー・ケミストリー)
公表日:日本時間(現地時間) 2011年5月23日(月)午後5時30分(英国時間2011年5月23日午前9時30分)
研究成果の概要
(背景)
ジャガイモシストセンチュウは,ナス科植物の根に入り込んで寄生し,甚大な被害を与える1ミリメートルほどの小生物です。ジャガイモの収穫を激減させるだけでなく,種イモ畑を不適格にしてしまうため,世界中の農業関係者から恐れられています。その卵は,シストと呼ばれる殻に数百個単位で包まれて越冬しますが,イモが植え付けられるまでは土壌中で10 年以上も休眠を続け,農薬もほとんど効きません。根本的な駆除が困難な上に,軽く小さなシストは収穫物や土に混じって移動しやすく,ジャガイモシストセンチュウの被害地域は日本を含む世界50 カ国以上に及んでいます。
ソラノエクレピンAは,センチュウの孵化を誘発する微量成分としてジャガイモの水耕栽培液から発見された有機化合物です。センチュウ駆除への応用が期待され,その化学合成が国内外で競われていますが,ソラノエクレピンAの極めて複雑な構造に阻まれ誰も成功していませんでした。
(研究手法)
ソラノエクレピンAは,3員環から4,5,6,7員環(参照:用語解説)まで様々な大きさの炭素環を含む特異な構造を有します。このように複雑な有機化合物の化学合成においては,大量の原料を供給するための合成反応と,多くの部品を効率的につなぎ合わせるための合成反応が必須です。
私たちはまず,5員環化合物を大量供給するための新しい合成反応を開発し,ソラノエクレピンA分子の中央部分を得ました。分子の右側に位置する4員環と3員環の構築には,他の化学者によって報告された方法を採用しました。続いて,分子左側の6員環と7員環を「分子内Diels−Alder 反応」を用いて一挙に構築しました。この反応に用いた化合物はこれまでに報告された方法では得られませんでしたが,この問題は新たな原料合成法を開発することで解決できました。
このように,既存の反応を利用しながらも,必要に応じて新たな反応を開発しつつ合成を進めてきた点が,本研究の特徴といえます。
(研究成果)
市販の化合物から出発し,合計52 回の合成反応を行なってソラノエクレピンAの全合成(生物の力を借りず全ての反応を人工的に行なう合成)を達成しました。この合成品の希薄水溶液中でジャガイモシストセンチュウの卵を培養した結果,10 のマイナス9乗グラム/ミリリットルという低濃度で卵から幼生を誕生させる顕著な孵化促進活性が認められました。つまり,生物が産生したものと同じ機能を持つ物質が,試験管とフラスコの中で人工的に合成できたことが証明されました。
(今後への期待)
ジャガイモが植わっていない畑にソラノエクレピンAを散布し,ジャガイモシストセンチュウの卵を孵化させることができれば,その幼生はジャガイモ以外からは栄養がとれないため,餌を求めてさまよい,いずれ餓死するしかありません。これにより,他の昆虫・鳥類・動物には影響を与えない,環境調和型の駆除法が実現できるものと期待されます。
今後は,ソラノエクレピンAの構造を部分的に簡略化した化合物群を合成し,シストセンチュウの孵化促進活性を調べることで,ソラノエクレピンAよりも低コストで大量に供給できる代替品の開発を推進する予定です。
※ 参考資料は、関連資料参照