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東大など、ゼロ質量電子間の異常な振る舞いを解明

2016-09-03

せめぎ合うゼロ質量電子
〜相互作用が織り成す多彩な競合現象の解明〜

1.発表者:
 平田 倫啓(仏グルノーブル国立科学研究センター CNRS−LNCMI
  日本学術振興会海外特別研究員(当時);
  現 東北大学 金属材料研究所 助教)
 石川 恭平(東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻 大学院生(当時))
 宮川 和也(東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻 助教)
 田村 雅史(東京理科大学 理工学部 物理学科 教授)
 Claude Berthier(仏グルノーブル国立科学研究センター CNRS−LNCMI 主任研究員)
 Denis Basko(仏グルノーブル国立科学研究センター CNRS−LPMMC 主任研究員)
 小林 晃人(名古屋大学大学院 理学研究科 物質理学専攻 物理系 准教授)
 松野 元樹(名古屋大学大学院 理学研究科 物質理学専攻 物理系 大学院生)
 鹿野田 一司(東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻 教授)

2.発表のポイント:
 ◆核磁気共鳴という電子の挙動をミクロに観測できる実験手法により、ディラック電子と呼ばれる質量を持たない特殊な電子集団の異常な振る舞いを明らかにした。
 ◆分子性結晶中に現れるディラック電子は、他の電子から働く電気的な反発により運動性が促進され、電子のもつ小さな磁石(スピン)の一部が磁場と反対に向こうとするフェリ磁性を示すことが分かった。
 ◆ディラック電子の特異な振る舞いが、これまでにない新規性と多様性をもつことを立証し、電子物理学および工学に、新たな発展の方向を示唆しており、今後、新しい物性や材料を探索していく上での重要な指針になると期待される。

3.発表概要:
 真空中に静止した電子は有限の一定質量をもつことが知られています。一方、物質中の電子は、物質の結晶構造や元素組成などによって決まるさまざまな大きさの見かけ上の質量(注1)をもつことになり、特定の条件がそろったときには、あたかも質量がゼロのように振舞うことがあります。このように質量がゼロの特異な粒子のことを「ディラック電子、注2」と呼び、その新奇な物理特性が基礎・応用の両面から盛んに研究されています。ディラック電子は、グラファイト(注3)を単層剥離し作製するグラフェン中で10年ほど前に初めて確認され、その後、表面のみ金属的な伝導特性を示す特殊な絶縁体やその類縁物質、さらには分子性結晶中などでも見つかり、「ディラック物質」の科学として、近年、新たな広がりを見せています。

 中でも、ディラック電子間の電気・磁気的な相互作用は、通常の金属や半導体中の有限質量をもった電子間のそれとは著しく異なる特質をもつことが予想され、そのため、普通の物質とは全く異なる電子の集団的挙動(社会性)が期待されます。実際、たとえばグラフェンにおいては、相互作用の帰結として物質内を動き回る電子の速度が(通常とは逆に)異常に増大する現象(注4)が確認されています。しかし、グラフェンでは本質的に電子間の電気・磁気的な相互作用自体が弱く、このため、ディラック物質における電子社会の多様性については、実験的にまだ十分に理解が進んでいないのが現状です。

 今回、仏グルノーブル国立科学研究センターの平田倫啓博士(日本学術振興会海外特別研究員(当時)/現 東北大学 金属材料研究所 助教)、Claude Berthier 研究員、Denis Basko研究員、東京大学大学院工学系研究科の石川恭平大学院生(当時)、宮川和也助教、鹿野田一司教授、東京理科大学理工学部の田村雅史教授、そして名古屋大学理学研究科物質理学専攻の松野元樹大学院生、小林晃人准教授らの研究チームは、グラフェンよりも強く相互作用したディラック電子社会を内包する分子性結晶に着目し、電子のミクロな磁気的特性を評価するための核磁気共鳴測定(注5)と、相補的な理論計算を行いました。

 詳細な実験とその解析の結果、強い電気的な反発によってディラック電子の速度が増大する効果に加え、電子のもつ小さな磁石(スピン、注6)の一部が、磁場と反平行にそろおうとするフェリ磁性(注7)が生じることを、分子レベルのミクロなスケールで、実験・理論の両面から初めて明らかにしました。

 この結果は、ディラック電子の集団が、従来知られているよりもずっと多彩な集団的挙動を示しうることを実験的に初めて示したものであり、今後、電気・磁気的相互作用をキーワードに、ディラック電子社会のさらなる多様性を探索していく上で、重要な知見を提供するものと考えられます。

 本研究は、仏グルノーブル国立科学研究所、東京理科大学、名古屋大学と共同で行われ、2016年8月31日(日本時間)に英国科学誌「Nature Communications」(電子版)で公開されます。

4.発表内容:
 物質の性質をよりよく理解することは、新しい技術や製品を世に生みだし、社会をより豊かにしていく礎となる、もっとも基本的な科学的営みです。物質を1つの社会としてとらえた場合、その性質を解き明かすことは、社会のシステム・ルールにあたる分子や結晶の構造と、その構成員たる電子の挙動を理解することに他なりません。この両者は両輪をなし、新しいシステム(新物質)が発見されるたび、その構成員(電子集団)の社会性がさまざまな実験・理論的アプローチで検証され、よりよいシステムの設計・提案につながる正のフィードバックがなされることで、今日の物質的社会の繁栄の基礎が築かれてきました。

 ディラック物質は、近年見つかった新奇物質群で、特殊なシステム(結晶構造)をもつがゆえに、その構成員(電子)には幽霊のように体重がない(質量がない)、そんな奇妙な社会です。これは、有限質量の電子を構成員としてもつ通常の社会(世の中の大多数の物質)と著しく異なる特徴であるため、学術的に大きな注目を集めており、これまで、主に単層グラファイトであるグラフェンを舞台に、まずは構成員であるゼロ質量粒子「ディラック電子」の個としての特性解明を目指した研究が盛んに行われてきました。

 金属や半導体などの通常の物質の場合、個である構成員(電子)が互いに影響を及ぼし合う(相互作用し合う)ことで、その集合体である社会のありよう(物質の性質)に劇的な変化がもたらされることが良く知られています。実際、その代表例である磁石や超伝導(注8)などといった物質・現象は、電気自動車のモーターやMRI(注5)等の診断用医療機器といったさまざまな形で実生活に取り入れられています。ディラック電子が相互に影響を及ぼし合う場合、どのような社会が実現しうるのか。これは理論的には盛んに研究されているテーマですが、実験的にはあまり理解が進んでいない課題です。

 その原因は、ディラック電子が現れるようなシステム(物質)が一般にはまだ珍しく、実際上、ごく限られた少数の物質群でしかディラック電子が確認されていないことにあります。また、代表物質であるグラフェンは、ディラック電子間の電気・磁気的な相互作用(注9)があまり強くなく、粒子速度の異常な増大といった通常電子には見られないゼロ質量粒子に固有の相互作用効果は確認されているものの、社会の多様性自体は小さく、さまざまな社会現象(物理現象)が競合的に発現する環境にはないためです。このため、相互作用が強いディラック物質において、相互作用が電子の社会性にどのような影響を及ぼすのか、実験的な検証が待ち望まれていました。

 今回、本国際共同研究チームは、相互作用の強いディラック物質と考えられる分子性結晶(注10)において核磁気共鳴実験と理論計算を行い、ディラック電子の相互作用に由来した以下の3つの効果を明らかにしました。

 ・1つ目の効果は「粒子速度の異常増大」で、これは核磁気共鳴実験におけるナイトシフトと呼ばれる物理量の測定と、くりこみ群(注11)と呼ばれる理論的手法による解析を併用することでその存在が確認されました。グラフェンでの同効果とは異なり、粒子の進行方向により増大率が異なっている(図1)点が特筆されます。
 ・2つ目は、通常の(質量のある電子をもつ)物質でも見られる「粒子の運動エネルギーが抑制される効果、注12」で、これも、ナイトシフトの実験結果をくりこみ群に基づいて定量的に解析することで示されました。
 ・そして3つ目の効果は、結晶周期性の最小構造単位である単位胞内で、複数ある分子サイトのうちの特定サイト間でスピンが互いに逆向きに配列しようとする「フェリ磁性」と呼ばれる状態が外部磁場により誘起される現象(図2)です。これは、ハバード模型(注13)という相互作用を扱う標準的模型によるモデル解析から相互作用由来であることが分かりました。

 この結果は、ディラック電子がつくる社会が、これまでにない新規性と多様性をもつことを立証したものであり、今後、新しい物性や材料を探索していく上での重要な指針になると期待されます。

5.発表雑誌:
 雑誌名:「Nature Communications」(8月31日)
 論文タイトル:
“Observation of an anisotropic Dirac cone reshaping and ferrimagnetic spin polarization in an organic conductor”
 著者:Michihiro Hirata, Kyohei Ishikawa, Kazuya Miyagawa, Masafumi Tamura, Claude Berthier, Denis Basko, Akito Kobayashi, Genki Matsuno, Kazushi Kanoda
 DOI番号:10.1038/NCOMMS12666

●用語解説:
 (注1)電子の見かけ上の質量:電子は真空中に静止している場合、およそ9.1×10−31Kgの質量をもつ粒子ですが、結晶中では、分子や結晶のつくる構造体の中に閉じ込められており、その構造の詳細や元素組成などによって決まるさまざまな大きさの見かけ上の質量「有効質量」をもつことができます。金属や半導体などの通常の物質では、電子は真空中とは異なるものの有限の有効質量をもつことが知られていますが、ディラック電子の場合、この有効質量が厳密にゼロになる特異な状況が実現します。
 (注2)ディラック電子/ディラック物質:「電子の見かけ上の質量」の特殊な事例として、物質が特別な結晶構造等を有する場合、電子の見かけ上の質量(有効質量)がゼロの状態(つまり見かけ上、質量がない粒子)が現れます。これを「ディラック電子」と呼び、そのような特異なゼロ質量粒子状態を示す物質のことを「ディラック物質」と総称します。代表的な例では単層グラファイトであるグラフェンやトポロジカル絶縁体(表面にのみ伝導状態が現れる特殊な絶縁体)の表面、そして圧力下の分子性結晶中に発現することが知られています。なお、ここではディラック電子のうち、とくに伝導に寄与する電子の数が絶対零度でゼロになる、電荷中性とよばれる状態にあるディラック電子集団を念頭においています。
 (注3)グラファイト:炭素原子が六角形の蜂の巣格子状に配列しシートをつくり、そのシートが多数積層した構造をもつ層状物質で、鉛筆の芯などの原材料として利用されています。グラファイトから上述のシートを一枚だけ剥離したものをグラフェンと呼び、ディラック電子を発現する代表的な物質として知られています。
 (注4)粒子速度の異常増大:金属や半導体中で電気伝導を担う電子は、通常、1023個という膨大な数存在し、その存在は、粒子間の電気・磁気的相互作用の影響が及ぶ空間的領域を狭める、スクリーニングという現象をもたらします。一方、電荷中性なディラック物質では、低温で熱的に励起される伝導電子の数が極端に少なくなり、スクリーニング効果が消失してしまいます。このため、普通の固体では考える必要のない、電気・磁気的相互作用の長距離性(相互作用の影響が遠方まで及ぶこと)が電子の集団的挙動に決定的な影響を及ぼします。結晶内を遍歴する粒子の速度が異常に増大する現象は、この相互作用の長距離性が引き起こす直接的な現象として知られ、グラフェンではすでに報告事例があります。
 (注5)核磁気共鳴:物質は原子で構成されていますが、その原子は原子核とその周りをまわる電子から構成されます。核磁気共鳴(NMR)は、原子核の磁石としての性質(核スピン)に注目し、電子の磁石としての性質(電子スピン)が核スピンに及ぼす影響の大きさを超高感度で検出できる電子状態の強力な探索手法です。実社会では、たとえば医療用の核磁気共鳴断層診断装置(MRI)として病院での診療・診断に広く活用されています。結晶中では、原子核が周期的に配列しているため、結晶の最小構造単位である単位胞内に複数の非等価原子核サイトが存在すれば、各々のサイトの周りに分布する電子がつくる微細な(磁気的)環境の差異を、別々のNMR信号として分離、検出することができます。このため、単位胞内のミクロな磁気的環境の違いを詳細に検証することが可能となります。本研究では、NMRのこの特性を活かし、ディラック電子集団の磁気的状態のミクロな空間分布を分子スケールで調べることで、ディラック物質における多様な相互作用効果の存在を明らかにしました。
 (注6)(電子)スピン:電子のもつ基本的な物理量のひとつで、小さな磁石としての性質のことです。物質のもつ磁気的な性質は、このスピンの向きがそろうことにより現れます。
 (注7)フェリ磁性:結晶を構成する最小の構造単位である単位胞の中に、複数の非等価な原子・分子サイトがあるとき、それら非等価なサイトの近くに存在する電子の小さな磁石としての性質(スピン)に着目します。フェリ磁性とは、隣り合う非等価サイト間で、この小さな磁石のS極N極の向きが、互いに逆向きになろうとする磁気的な性質を指します。反強磁性と呼ばれる状態に近いですが、違うのは隣り合うサイト間で逆向きになる磁石の大きさが異なる点です。
 (注8)磁石や超伝導:電子は一つ一つが小さな磁石(これをスピンという)としての性質をもっており、相互作用によりその向きがそろったものを磁石と呼び、日常生活のいたるところで活用されています。超伝導は、物質の電気抵抗がゼロになる状態のことで、一度流した電流が永久に減衰することなく流れ続ける(永久電流)性質をもち、実社会では、たとえば医療用の核磁気共鳴断層診断装置(MRI)の中などで使用されています。
 (注9)ディラック物質における相互作用の強さ:ディラック電子の間に存在する電気・磁気的な相互作用の大きさのこと。電気・磁気的な相互作用には長距離成分と短距離成分があり、通常の(有限の質量をもった電子が電気伝導をになう)物質では前者は実効的に存在せず、後者のみが物質の性質を支配する重要なファクターとなります。一方、ディラック物質では、電子間に電気・磁気的相互作用の長距離、短距離の両成分がともに存在し、どちらも重要な働きをすることが知られています。ここで言う「ディラック物質における相互作用の強さ」とは、とくに相互作用の短距離成分の大きさ(V)が、粒子の運動エネルギー(K)と比べてどの程度強いか、つまり両者の比V/Kの大きさを指します。V/Kが十分に大きい場合、たとえば金属(自由な行動が許された状態)から絶縁体(戒厳令下で外出禁止の状態)に変化する現象などが生じるため、一般に、電子の形成する社会における劇的な社会構造変革が生じやすいことが知られます。
 (注10)分子性結晶:グラファイト(C)や塩化ナトリウム(NaCl)など、自然界の多くの物質は原子を構成単位としてその構造を理解することができます。一方、原子ではなく分子を最小の構成単位とする一群の結晶体も存在し、それを分子性結晶と呼びます。
 (注11)くりこみ群:数学的にそのままでは扱いが難しい相互作用等をモデルにとりこむための理論的手法の一つです。ディラック電子の集団の場合、特に「電気・磁気的な相互作用の長距離成分」をこのくりこみ群の手法で取り扱う必要があり、その結果、電子速度の異常な増大を引き起こすことが知られています。
 (注12)粒子の運動エネルギーが抑制される効果:固体中の電子間に存在する電気・磁気的な相互作用のうち、短距離成分が引き起こす相互作用効果のひとつで、通常の金属や半導体でも広く見られる現象です。
 (注13)ハバード模型:固体中の電子間に存在する電気・磁気的な相互作用のうち、短距離成分を取り扱うための理論的モデルです。磁性体(磁石になる物質)や超伝導体(超伝導を示す物質)など、さまざまな物質でその有用性が立証されており、現在、固体中の電子集団を取り扱うモデルとして、もっとも標準的なものの1つと考えられています。

●添付資料

 ※図1・図2は添付の関連資料を参照




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