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理研、1,000兆分の1秒の時間遅延を観測

2015-09-07

1,000兆分の1秒の時間遅延を観測
−水素分子イオン振動開始のための準備時間を制御できる可能性−


<要旨>
 理化学研究所(理研)光量子工学研究領域アト秒科学研究チームの鍋川康夫専任研究員、古川裕介客員研究員、緑川克美チームリーダーらの研究チーム(※)は、3,000兆分の1秒という短い時間幅のパルスが並んだ「アト秒パルス列[1]」という特殊な光で水素分子をイオン化すると、分子振動波束[2]の生成過程(水素分子イオンが振動を始めるための準備時間)が、従来考えられていた時間よりはるかに長いことを発見しました。これにより、使用するパルスによって準備時間を制御可能なことを示しました。

 水素分子は2つの陽子と2つの電子で構成される構造が最も簡単な分子です。水素分子にパルス光を照射すると瞬間的にイオン化し、2つの陽子の結びつきが弱まって、水素分子イオン(陽子)は振動を始めます。水素分子イオンの振動は複数個の波動関数を足しあわせて得られる「波束」で表されます。これまで水素分子イオンが振動を始める前の波束は、イオン化に伴い1,000兆分の0.1秒より短い時間で瞬間的に形成されるのが当然とされ、計測した例はありませんでした。

 研究チームはアト秒パルス列を2つのビームに分け、片方のアト秒パルス列がもう片方のアト秒パルス列よりわずかに遅れてターゲットの水素分子に到達する光学装置を開発し、2つのアト秒パルス列の照射によって生じた水素イオン(陽子)の運動エネルギー分布を測定しました。その結果、水素イオンの波束を形成する各波動関数の複素振幅[3]の位相が束縛エネルギー[4]に対して変調を受けることが分かりました。この変調は、一部の波動関数が他の波動関数よりも1,000兆分の1秒程度遅れて生じているためと考えられました。研究チームの提唱するモデル計算では、この遅れの原因はアト秒パルス列のスペクトル構造にあると想定でき、イオン化の過程をアト秒パルス列で制御できる可能性が示されました。

 分子運動の光制御では分子中の電子を光「励起」することが重要な役割を果たしますが、励起よりもはるかに早く応答する「イオン化」が新たな超高速光制御技術をもたらすかも知れません。

 本研究は、文部科学省最先端の光の創成を目指したネットワーク拠点プログラム受託事業「先端光量子科学アライアンス」の一環として行われ、英国のオンライン科学雑誌『Nature Communications』(9月1日付け)に掲載されます。

※研究チーム
 理化学研究所 光量子工学研究領域 エクストリームフォトニクス研究グループ アト秒科学研究チーム
 チームリーダー 緑川 克美(みどりかわ かつみ)
 専任研究員 鍋川 康夫(なべかわ やすお)
 研究員 沖野 友哉(おきの ともや)
 客員研究員 古川 裕介(ふるかわ ゆうすけ)


<背景>
 水素分子は2つの陽子と2つの電子で構成される構造が最も簡単な分子です。パルス光の照射によって水素分子を瞬間的にイオン化すると、2つの陽子の結びつきが弱くなるため、水素分子イオン(陽子)は振動を始めます。水素分子イオンの振動は複数個の波動関数を足しあわせて得られる「波束」で表されます。これまで水素分子イオンが振動を始める前の波束は、イオン化に伴い1,000兆分の0.1秒より短い時間で瞬間的に形成されるのが当然とされ、計測した例はありませんでした。

 2012年に研究チームは3,000兆分の1秒という短い時間幅のパルスが並んだ「アト秒パルス列」と呼ばれるパルス光を用いて、水素分子イオンの振動波束の観測に成功しました。この実験における水素分子のイオン化と水素イオンの解離の過程は、最も単純な1光子吸収過程(分子1つに対して光子1つが吸収される)で表すことができます。研究チームは、この単純さを利用し波束を作っている一つひとつの波動関数が、いつ、どのように波束を作るかを知ることができると考えました。


<研究手法と成果>
 研究チームは、アト秒パルス列を2つのビームに分け、片方のアト秒パルス列がもう片方のアト秒パルス列よりわずかに遅れてターゲットの水素分子に到達する光学装置を開発しました。実験では、水素ガスを真空中へパルス状に吹き出しターゲットとしました(図1(1))。真空中に吹き出した水素分子から電子を1つ取り除くために、1度アト秒パルス列を集光照射しました(図1(2))。これにより、水素分子が水素分子イオンとなり、振動が始まります。振動を開始し、ある程度時間が経った後、2度目のアト秒パルス列を集光照射しました(図1(3))。2度目のアト秒パルス列によって水素分子イオンは水素原子と水素イオン(陽子)に解離したので、水素イオンを速度マップ画像(Velocity Map Imaging;VMI)分光器と呼ばれるイオン解析装置で測定しました(図1(4))。

 研究チームは、2度目のアト秒パルス列を集光照射する遅延時間を少しずつ掃引しながら水素イオンの運動エネルギー分布を記録し、2次元のスペクトログラムを得ました(図2)。

 水素分子イオンの解離は1光子遷移によって生じるため、この2次元スペクトログラムは簡単な式で表すことができます。得られた式は複素振幅を測定・再生する手法の「周波数分解光学ゲート法(Frequency−Resolved Optical Gating,FROG)[5]」で用いられる2次元スペクトログラムを表す式と酷似していました。振動波束は複数の波動関数の和で表されますが、研究チームはこの類似性を利用して、各波動関数の複素振幅を再生できるようにFROGのアルゴリズムを改良し(研究チームはこれをMatter−Wave FROG,MW−FROGと名付けました)、実験で得られた2次元スペクトログラムに適用しました。

 その結果を示したのが図3下の黒丸のプロット(●)です。「瞬間的」に振動波束が生成されたと仮定すると、位相の黒丸のプロットは横軸の束縛エネルギーに対して直線状に並ぶはずですが、黒丸のプロットは曲がって並んでいます。これは、水素分子イオンの振動波束の位相が横軸の束縛エネルギーに対して位相変調(位相が変化すること)を受けていることを示しています。位相の差分を束縛エネルギー差で割り算すると、この位相変調は各波動関数が生じる時刻の遅延と解釈できます(図3上の●)。この図では束縛エネルギー−1.75電子ボルト付近(ハッチした部分)の振動準位(3及び4)で群遅延のピークがあり、これらの準位は他の準位より約1〜2フェムト秒(=1,000兆分の1〜2秒)遅れて生成されていることを示唆しています。同様の結果が同位体分子である重水素イオンでも得られていることから、研究チームは、水素分子イオンが振動波束を生じる、すなわち振動開始には約1,000兆分の1秒という、これまでの常識よりもはるかに「長い」準備時間が必要であると結論づけました。

 この長い準備時間が必要になったのは、研究チームの用いたアト秒パルス列のスペクトル成分の内、11次高調波の光子エネルギーが水素分子のイオン化エネルギーと水素分子イオンの解離限界のちょうど間にあることが原因であると考えられます。研究チームの提唱するモデル計算は比較的良く実験値を再現しており(図3の○)、この結果、イオン化で生じた電子波束の位相の干渉が振動波束に影響を及ぼしていると結論づけました。


<今後の期待>
 本研究は、1000兆分の0.1秒よりも短い時間で行われていると考えられていたイオン化による分子振動波束の生成過程を、使用する光パルスによって制御可能なことを示唆しています。分子運動の光制御では分子中の電子を光「励起」することが重要な役割を果たしますが、励起よりもはるかに早く応答する「イオン化」が新たな超高速光制御技術をもたらすかも知れません。


<原論文情報>
 ・Yasuo Nabekawa,Yusuke Furukawa,Tomoya Okino,A.Amani Eilanlou,Eiji J.Takahashi,Kaoru Yamanouchi,and Katsumi Midorikawa.,"Settling time of a vibrational wavepacket in ionization.",Nature Communications,doi:NCOMMS9197


<発表者>
 理化学研究所
 光量子工学研究領域(http://www.riken.jp/research/labs/rap/エクストリームフォトニクス研究グループ(http://www.riken.jp/research/labs/rap/extr_photonics/)アト秒科学研究チーム(http://www.riken.jp/research/labs/rap/extr_photonics/attosec_sci/
 チームリーダー 緑川 克美(みどりかわ かつみ)
 専任研究員 鍋川 康夫(なべかわ やすお)
 客員研究員 古川 裕介(ふるかわ ゆうすけ)


<補足説明>
1.アト秒パルス列
 数100〜数10アト秒(1アト秒は100京分の1秒、10−18秒)の時間幅を持つパルス(短時間に変化する信号)が周期的に複数並んだ列状のパルス光。高強度の超短パルスレーザー光を希ガス中に集光して得られる高次高調波(可視域のレーザーをガスに集光したときに発生する波長の短い光)がアト秒パルス列となる。

2.波束
 波長の異なる「波」を複数重ね合わせると、波の山同士または谷同士が重なった部分は波の大きさ(振幅)が強調され、山と谷が重なった部分は振幅が減少する。この結果、振幅の大きい部分が空間的あるいは時間的に局在化した波を波束と呼ぶ。

3.波動関数、複素振幅
 ミクロの世界では、物質の状態はシュレディンガー方程式(原子などの時間変化を波動関数で表すために用いられる方程式)に従う「波」として取り扱われる。この「波」を波動関数と呼ぶ。波動関数は一般に複素数であるので、その振幅を複素振幅と呼ぶ。なお、レーザー光については、正周波数成分に対して複素振幅を定義することで、レーザー電場の大きさと位相を簡便に計算することが可能となる。

4.束縛エネルギー
 粒子が束縛されている状態にあるときのエネルギー。粒子が無限遠方にあるときのエネルギーを0とすると、束縛エネルギーの値は負になる。また無限遠方での粒子の存在確率が0であるという境界条件により、粒子の取りうる状態、及び束縛エネルギーの値は、図3の振動準位の様に離散化される。

5.周波数分解光学ゲート法(Frequency−Resolved Optical Gating)
 フェムト秒あるいはアト秒のレーザーパルスのパルス波形を決定するための測定方法の1つ。この方法では、測定されるレーザーパルスともう1つのレーザーパルス(ゲートパルス)の遅延時間相関信号を周波数分解して記録し、記録したデータは遅延時間と周波数の2変数に依存した2次元スペクトログラムとなる。このスペクトログラムを再現するように反復アルゴリズムを用いてレーザーパルスの複素振幅を再現する手法。


 *図1〜図3は添付の関連資料を参照




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