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東京大学生産技術研究所など、医薬品候補化合物とタンパク質の相互作用解析の高分解能化に成功

2012-03-29

―スパコンを用いたフラグメント分子軌道法による超高速計算―

医薬品候補化合物とタンパク質の相互作用解析の高分解能化に成功


 東京大学生産技術研究所を拠点として行われている「文部科学省次世代IT基盤構築のための研究開発“イノベーション基盤シミュレーションソフトウェアの研究開発”」(代表者:加藤千幸教授)では「バイオ分子相互作用シミュレーターの研究開発」の下でフラグメント分子軌道(FMO)法(注1)計算システムABINIT−MP/BioStationの開発整備を進めてきました。今回、立教大学理学部の望月祐志教授とみずほ情報総研株式会社の福澤薫チーフコンサルタントらの研究グループは、論理的創薬法に適した医薬品候補化合物(リガンド)とタンパク質の相互作用解析の高分解能化を可能とする新規手法を開発し、海洋研究開発機構のスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」を用いて超高速計算することに成功しました。この手法により、リガンドをタンパク質との相互作用部位毎に分割し、タンパク質のアミノ酸残基側も主鎖と側鎖を分離して扱えるようになるため、これまでのリガンド対アミノ酸より詳細な相互作用の描像が得られ、リガンドの最適化が効率的に行えるようになります。これは、近年注目を集めているStructure Based Drug Design(SBDD)(注2)に広く適用でき、薬剤耐性問題や新型ウイルス対策にも有用と考えられます。

 創薬分野では、FMO電子状態計算から得られるエネルギーに基づいたリガンドとタンパク質の相互作用解析が新薬の開発設計に役立てられてきています。しかし、2体ないし3体のフラグメント展開に基づいた従来手法では、リガンドやアミノ酸の詳細分割を行った場合に、化学的な議論に必要な精度が担保できませんでした。今回、4体まで展開を拡張した上で分散力(注3)を取り込める2次摂動論計算に対応したFMO4−MP2法(注4)を実装して、数値的な精度を確保しました。応分の計算量の増加を処理するため、地球シミュレータのベクトル演算と超並列計算資源を活かしたチューニングを行いました。エイズウイルスの増殖に関わるHIV−1プロテアーゼ(198残基)とロピナビルの複合体のFMO4−MP2計算は、地球シミュレータの128ノードを用いると僅か1.4時間でジョブが完了できます。

 インフルエンザウイルスのノイラミニダーゼ(NA)(注5)とタミフルの相互作用を例に挙げると、従来法ではタミフル全体をひとまとめとした解析しか行えず、それではドラッグデザインに必要な、官能基単位の情報が得られませんでしたが、本手法を適用してタミフルを4つの機能部位に分割することによって、NAとの相互作用を機能部位ごとに詳細に解析することができます。FMO4計算によって膨大な数値データが出力されますが、BioStation Viewerを使った優れた可視化インターフェースによって利用者は容易に解析作業を進めていくことが可能です。

 今回の成果は、SBDD指向の新薬研究開発に対してFMO4−MP2による高分解能の解析手法をスーパーコンピュータを利用した超高速処理性と共に提供するものです。また、タンパク質側をリガンド周辺の主要相互作用部位(ファーマコフォア(注6))に絞り、普及型のCPUを積む小規模のクラスター計算機上での簡易解析において効果的な加速が得られるコレスキー分解(注7)も併せてサポートしています。現在、京速コンピュータ「京」への対応作業も進めており、「京」の利用による電子状態計算に基づいたスパコン創薬が期待できます。

 なお、本研究開発は、国立医薬品食品衛生研究所の中野達也室長、神戸大学大学院システム情報科学の田中成典教授らと共同で、また、日本電気株式会社と連携して行われました。


<応用事例>
 今回実用化された、FMO4−MP2法によるタンパク質と医薬品候補化合物との相互作用の詳細解析について、インフルエンザウイルスの膜表面タンパク質であるノイラミニダーゼ(NA)(注5)とタミフルの相互作用を例に解説します。

 インフルエンザNAはウイルス膜表面にスパイク状に存在するタンパク質で、増殖したウイルスが宿主細胞から離脱する際に、糖鎖をシアル酸の部分で切断するはたらきをします。抗インフルエンザ薬であるタミフルは、NAの阻害剤として、Structure Based Drug Design (SBDD)(注2)によりデザインされたものです。タミフルの活性体構造は、分子の中に正イオン部分と負イオン部分とが混在する両性イオンとなっており、さらに疎水的および親水的な性質を持つ官能基を含んでいます。各々の機能部位がNAのアミノ酸残基の側鎖部分の対応部位に作用することでファーマコフォア(注5)を形成し、NA―タミフル全体の相互作用が決まっています。従って、FMO電子状態計算に基づいた解析を行う際には、リガンド全体に均一化された相互作用ではなく、機能部位ごとの相互作用を詳細に解析することが論理的な創薬デザインの上で重要になります。

 今回の計算には、NAの386個のアミノ酸残基とタミフルとの複合体構造(5793原子)のX線結晶構造(PDB−ID: 2HU4)を用いました。NA−タミフル複合体のFMO4−MP2/6−31G計算の結果をBioStation Viewerにより可視化すると、タミフルに作用するアミノ酸残基の分布を確認することができます(図2)。図2はタミフルを1つのフラグメントとして扱った場合の相互作用に相当しますが、今回はタミフルを4つの機能部位に分割したことで、さらに図3のような高解像度の描像を得ることができました。タミフル全体が均一化されていた従来法と比べて、正イオン基、負イオン基、親水基および疎水基というそれぞれの部分構造がNAのどの部分とどのような相互作用しているのかが、はっきりと分かります。官能基の性質に応じてイオン的な相互作用や分散力に基づいた相互作用が定量的に同定されたため、その相互作用の強さを調節することによって、より阻害力の強い医薬品候補化合物をデザインすることができるはずです。この解析法は、官能基単位で化合物の最適化を行うSBDDへ広く用いることができると期待されます。さらに、本手法ではリガンドとアミノ酸の側鎖部分との相互作用を定量的に評価できるので、ウイルスのアミノ酸残基が変異することによっておこる薬剤耐性や新型ウイルスの対策にも役立つと考えられます。

 ABINIT−MPは移植汎用性(Interoperability)が高いため、地球シミュレータばかりでなく、FOCUSスパコンやクラスター計算機を用いても、FMO4−MP2計算を行うことが出来ます。表1に、HIV−1プロテアーゼの例題に対し、各計算機を標準的なノード要求を仮定して用いた場合の計算時間を示しました。地球シミュレータに対し、FOCUSスパコンでは19倍、クラスター計算機では123倍の時間をかければ計算は完了します。ここで、クラスター計算機において有効な加速が得られるコレスキー分解(CDAM)近似(注7)を用いますと、FOCUSスパコンでは相対コストが13倍、クラスター計算機では55倍に低減されます。

 本手法の普及的な利用としては、研究室単位の小型クラスター計算機を用いた、現実的な時間内での計算が考えられます。その場合、計算対象をファーマコフォア(注5)に絞った小規模のモデル系に対して、CDAM近似を効果的に組合わせることによって、より実用的な解析が実現されます。例えば、20コアのクラスター計算機上での50残基モデル系の計算は1日で完了します。


<技術的内容>
 北浦らによって1999年に提案されたFMO法(注1)は、タンパク質などの巨大生体分子の電子状態を実用的に計算する手法で、系をアミノ酸残基などの単位でフラグメントに分割した上で、並列処理を駆使して1体のフラグメント(モノマー)と2体のフラグメント(ダイマー)のエネルギーを求め、その和から全系のエネルギーを評価します(図1参照)。この10年の間、方法論として様々な機能が強化され、応じて多彩な応用研究が進んできました。特に、創薬分野ではFMO計算から得られるフラグメント間の相互作用エネルギー(IFIE)に基づいたリガンドとタンパク質の相互作用解析が盛んに行われ、新薬の開発設計に役立てられてきています。しかしながら、本来、リガンドを機能単位・官能基毎にフラグメント化し、応じてアミノ酸残基も骨格を形成している主鎖と個別の相互作用に主に関わっている側鎖とに分離したフラグメントとして、解析の空間解像度を上げることが可能なはずです。ただし、この詳細分割の場合、ダイマーまでを含めた通常の2体のFMO展開(FMO2)ではエネルギーの精度劣化が著しく、信頼性の高い解析と化学的な議論を行うことはできませんでした。3体フラグメント(トリマー)を含めたFMO3計算は既に提案されていますが、上記のようにリガンド分割やアミノ酸残基の主鎖・側鎖分離を念頭に置いたものではありませんでした。

 本研究開発グループでは、今回、FMOのフラグメント展開を4体(テトラマー)まで拡張し(注4)、リガンドの機能単位分割とアミノ酸残基の主鎖・側鎖分割を行った条件下でも精度を保持し、定量的なIFIE解析を可能とするFMO4計算をABINIT−MPに実装しました。計算レベルとしては、π/πやCH/πといった分散力(注3)による安定化を取り込めるよう、2次摂動論で電子相関を考慮したFMO4−MP2としています。テトラマーまでの計算では、組合せ的にダイマー/トリマーよりも遥かに多くの数となりますし、主鎖と側鎖の分離によってタンパク質側のフラグメント数は倍化されます。近接モノマーから成る場合のみ計算すればよいのですが、テトラマーではサイズが大きくなることもあり、高速実行のためにはプログラムとしても様々な工夫が必要になります。並列化率が高いことはもちろんですが、中間作業ファイルを一切使わないこと、演算効率の高い行列ライブラリを使用する最深部の処理などがポイントです。ベクトル型スーパーコンピュータである地球シミュレータ向けのチューニングとしてはベクトル化も併せて行っています。これにより、地球シミュレータ上でのエイズウイルスのHIV−1プロテアーゼとロピナビルの複合体のFMO4−MP2の計算ジョブは僅か1.4時間で終了し、FMO2−MP2に比して約10倍の相対コストで済んでいます。現在、スカラ型の京速コンピュータである「京」への対応作業も進めており、超大規模並列処理によるFMO4計算の加速を期待しています。

 リガンドの分割とタンパク質のアミノ酸残基の主鎖・側鎖分割を伴うFMO4−MP2計算からは膨大な数値データが得られますが、利用者がそれらを追っていくことは困難です。そのため、可視化インターフェースであるBioStation Viewerも拡張し、IFIEを通じた相互作用解析を直感的に行えるようにしています(応用事例を参照)。一方、スーパーコンピュータではなく数十コア程度の小規模クラスター計算機の使用を前提に、タンパク質側をリガンド周辺のファーマコフォア(注6)に領域限定した簡易解析を行いたいという要望もあります。それに応えるコレスキー分解法(注7)も併せて提供しており、50残基程度のモデル系では精度を保持したまま1日以内で計算処理を行うことが可能です。

 >ABINIT−MPおよびBioStation Viewerの詳細については、こちらをご覧ください。
  http://www.mizuho-ir.co.jp/solution/research/life/macromolecule/biostation/index.html

 ※参考図は添付の関連資料を参照


<用語解説>
注1:フラグメント分子軌道(FMO: Fragment Molecular Orbital)法
 1999年に北浦和夫 氏(現 神戸大学 特命教授)によって提案された生体分子系に対する効率的な計算手法。巨大系を比較的小さなフラグメント(アミノ酸残基など)に分割し、各フラグメントのモノマーとダイマーの分子軌道計算を並列処理することにより、全系の電子状態をこれまでの手法よりはるかに短時間に高精度で解析することができる近似計算法。計算からは、フラグメント間の相互作用エネルギー(IFIEないしPIEと呼ばれる)が得られるため、創薬分野での応用計算が盛んに行われている。
 北浦氏によるFMO法の原著論文;"Fragment molecular orbital method:an approximate computational method for large molecules" K.Kitaura,E.Ikeo,T.Asada,T.Nakano,M.Uebayasi,Chem.Phys.Lett.313(1999)701.

注2:Structure based Drug Design(SBDD)
 構造活性相関(QSAR: Quantitative Structure−Activity)などのリガンドベースのドラッグデザインに対して、標的タンパク質の構造とリガンドとの相互作用を考慮したドラッグデザインのことをいう。

注3:分散力
 アルキル基やベンゼン環などの疎水性グループ間に働く引力的な相互作用。共役結合部位間のπ/π型に加え、近年では水素結合に類したCH/π型も認識されている。創薬分野では、リガンドとアミノ酸残基の間の相互作用が特に重要である。
 計算によって分散力を取り込むには、平均場近似(HF: Hartree−Fock)を超えて電子相関を導入する必要があり、タンパク質系では2次のメラー・プレセット摂動論(MP2: Second−order Moeller−Plesset Perturbation theory)がよく用いられる。MP2計算では、4つの添字を持つ電子間反発積分の高速処理が求められるが、ABINIT−MPでは中間ファイルを一切使わない高効率の並列化エンジンを内蔵している。

注4:FMO4法
 フラグメントの展開を4体(テトラマー)まで拡張することにより、リガンドの複数分割とアミノ酸残基の主鎖・側鎖分割を伴う高解像度の解析を可能とするアプローチ。今回の実装ではMP2レベルでの計算が可能。
本研究グループによる原著論文;Development of the four−body corrected fragment molecular orbital (FMO4) method.T.Nakano,Y.Mochizuki,K.Yamashita,C.Watanabe,K.Fukuzawa,K.Segawa,Y.Okiyama,T.Tsukamoto,S.Tanaka,Chem.Phys.Lett.523 (2012) 128.

注5:インフルエンザノイラミニダーゼ(NA)
 インフルエンザウイルスの表面に存在し、宿主細胞表面の糖鎖をシアル酸残基の部分で切断する活性を持つ酵素タンパク質。この働きによって、新たに作られたウイルス粒子が感染した細胞から遊離する。タミフルやリレンザなどの医薬品はこの活性を阻害する。

注6:ファーマコフォア
 薬剤分子(リガンド)と標的タンパク質の結合は、作用部位の官能基間の各種の相互作用によって決まる。ファーマコフォアは、リガンドおよび相互作用の大きい周辺アミノ残残基の集合に当たる。

注7:コレスキー分解
 MP2計算で表れる電子間反発積分を近似的に高速評価する方法。クラスター型の計算機で有効な加速が得られる。
 ABINIT−MPにおけるコレスキー分解の利用に関する原著論文;"Acceleration of fragment molecular orbital calculations with Cholesky decomposition approach" Y.Okiyama,T.Nakano,K.Yamashita,Y.Mochizuki,N.Taguchi,S.Tanaka,Chem.Phys.Lett.490 (2010) 84.


<学会発表演題名>
 日本化学会第92回年会(慶応大学日吉キャンパス) 2012年3月27日
 http://www.chemistry.or.jp/nenkai/92haru/program_jp.html
 3A4−40“フラグメント分子軌道法によるインフルエンザウイルスノイラミニダーゼと抗ウイルス薬との相互作用解析”
 3A4−41“ Fragment Based Drug Design (FBDD)を指向した新規フラグメント分割法に基づくFMO計算”

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